久米島に小型航空機が大集合!航空祭2022

みなさんにとって、飛行機はどのような存在でしょうか?
四方を海で囲まれた久米島にとって、飛行機は大切な生活インフラです。
観光やお仕事で久米島に来る際、飛行機を利用された方もいらっしゃるでしょう。
実際、久米島空港の年間乗降客数は約23万人を超えています。
小さな離島ながら意外と多くの利用者がいるんですよ。
さて、そんな久米島空港にジェット機が就航して今年で25周年になります。
それを記念して、11月19日に久米島空港で航空フェアと航空教室が行われました。
今回は久米島空港の歴史を振り返りながら、航空フェアと航空教室の様子をご紹介します。

久米島空港の沿革

久米島空港の沿革
1963(昭和38)年  米国民政府により久米島飛行場建設
1965(昭和40)年  民間航空機運行開始
1968(昭和43)年  Y2-11型機が就航
1977(昭和52)年  滑走路1,200mにて共用を開始
1997(平成9)年    久米島空港ターミナルビル設立
         ボーイング737型機就航及び東京直行便(夏季)も同時就航
2007(平成19)年  ボンバルディアDHC-8Q300型就航
2016(平成28)年  ボンバルディアDHC-8Q300型就航型就航
2018(平成30)年  ボンバルディアDHC-8Q300型運行終了

1963年に米国民政府による援助資金によって久米島飛行場が建設されました。
当時は緊急着陸飛行場として利用されていたそうです。
ちなみに、米国民政府とは、米国の沖縄統治機関のことです。
当時沖縄はまだ日本復帰前ですので、米国民政府が久米島を統治しています。


1965年には民間航空の運行が開始されます。
その後は航空法に基づく大幅な修繕、航空需要の増大や機材の大型化に対応するために拡張整備が行われます。

1997年に現在の「久米島空港ターミナルビル」となりました。
その年にジェット旅客機の就航が可能になり、東京からの直行便も開始されます。


2007年からは50席もあるボンバルディアDHC-8Q300型が就航します。
2016年にボンバルディアDHC-8Q400型が就航すると、2018年にボンバルディアDHC-8Q300型の運行は終了しました。

航空フェア


航空フェアでは、全国の空港から小型航空機が訪れ、機内の見学や写真撮影ができました。

事前申し込みをしていましたが、当日受付もできたようです。
混雑もなく、スムーズに進みました。
かばんなどの手荷物はほとんど持ち込みできず、スマホ片手に駐機場へ向かいます。


小型航空機は全部で7機。
間近で見る航空機に、大人も子供も大興奮!
外から眺めるだけでなく、機内も見学できるので子供たちは大はしゃぎです。


一口に小型飛行機と言っても、それぞれ特徴があり、搭乗の仕方から違います。
階段がついているもの、羽の部分に上がってから入るもの、

フロートの部分に登ってから入るものなど様々です。

操縦席も二つあるもの、一つだけのものなどがあり、操縦桿の形も違います。


子供たちは操縦席に座ると、操縦桿を握って気分はパイロット!
エンジンはかかっていませんが、操縦桿をちょっと動かすと羽の一部分がちゃんと上下に動き、ますます子供たちは大喜び。

大人も童心に戻り、まるで航空機のアミューズメントパークに来た気分で楽しめました。


たまたまジェット機が空港に降り立つタイミングと重なり、駐機場でジェット機を着陸するのを見るという貴重な体験もできました。

航空教室


航空教室ではRACパイロットさん、客室乗務員さん、整備士さんからお仕事についてお話下さいました。
しかし、航空フェアに夢中になり、航空教室には間に合いませんでした。
それでもパイロットさんたちは快く写真撮影に応じてくれ、少しだけお話しさせてもらいました。
小型飛行機とジェット機の操縦はちょっと違うそうで、ジェット機の操縦桿の方が重いそうです。
お話ししてくださったパイロットさんは、なんと航空フェア後すぐ那覇行きの便のパイロットとしてお仕事に戻られていました。
お仕事お疲れ様です。



航空フェアが終わると、多くの小型飛行機は久米島空港を飛び立ちました。
この日のために、北海道や仙台など全国各地から来てくれたそうです。
遠くからお越しくださり、ありがとうございました!

貴重な体験をした島の子供たち。将来パイロットになる子が出てくれるかもしれません。

久米島空港の歴史を振り返ると、航空機の発展も感じられました。

今後の航空機の進化と久米島空港の活性化にも期待したいです。

 

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